第1章 地震で村が変わった
村の宝を探そう
2005年9月、新潟NPO協会の金子洋二さん、中越復興市民会議の長崎忍さん、阿部巧さんが池谷集落の今後の活動をどうしていくかを相談しあうため池谷集落を訪れました。中越復興市民会議は、2005年に立ち上がった中越大震災の復興支援を目的とした中間支援組織です。長崎さんが旧小国町法末(ほうすえ)集落で行った、地元の人とボランティアとが集落を歩き集落の宝を探す「宝さがし」の活動について話し、ぜひ池谷集落でも行ってみようということになりました。また「宝さがし」だけではなく、ボランティアの人と交流する時間を設け「収穫祭」として行うことにしました。
「収穫祭」を持ちかけた長崎さんは、こう振り返ります。
「当時はまだ震災のショックから立ち直り始めてきた頃で、どこかで浮上できるきっかけができたらと思いました。収穫祭の準備をすることで、その間は地震のこと忘れることができる。お祭りのような感覚で取組めます。宝探しをすることで外の視点から集落を多くの人から見てもらうこともできます。
市民会議はあくまでもサポートする立場。復興の主役である地元の人がどんな反応をするのか、誰が主役になるのかを探す場でもありました。また、こういうイベントを行うことで行政やマスコミ、他地域の同様の立場の人に来てもらうことができた。私たちとしても、どこか先頭を走ってくれるところがほしい時期でもありました。」



11月の収穫祭には、多くのボランティアや地元の方など約50名が参加し、10数名の池谷集落では珍しく賑やかで活気のある集まりになりました。複数のグループに分かれ、村人の案内で池谷集落と入山集落を散策し、発見した「集落の宝」を模造紙にまとめました。棚田や湧き水、ブナ林、農作物、山ナシ・ムカゴ・山菜などの山の幸、集落に伝わる民話…。「村に宝物なんてないよ」と否定的であった村人も、自分たちにとっては当たり前であるものも、地域外から来た人から見れば宝物であることに気づかされました。
「地域の人々が何よりの宝物です。」
地域外から来たボランティアの1人が発表すると、
「おらたちにとって、こうやって来てくれる皆さんが宝物です。」
と村人は返しました。今までのボランティアの受入を通じて、両者にいい関係が築かれてきたことが鮮明になった場面でした。
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