プロローグ 〜賑やかだった村

 

 池谷(いけたに)集落は、新潟県十日町市の飛渡(とびたり)地区にあります。標高約300メートルの山沿いにあり、自然豊かな場所です。現在では道路が整備されているため、十日町駅から車で約2〜30分ほどです。2015年1月1日時点で、住民は8世帯19人。ほとんどが農業に従事しています。

 

向かい側の山から池谷集落を臨む
向かい側の山から池谷集落を臨む

 

 1960年には、住民は37世帯211人いました。夏には集落の神社で夏祭りをし、芝居をしたり屋台が出たりととても賑やかだったそうです。池谷集落で産まれ育った曽根イミ子さん(屋号:津倉)は当時をこう振り返ります。

「昔はどのうちも子どもが多かったから、小さい頃は兄弟たちと遊んでばかりだった。だから他の家のことはあまり良く知らなかった。冬になると、高学年生は親に叩いて柔らかくしてもらったワラを持って仲間のところに行って、なわをなったり、ぞうりを作ったりしたね。かっこ良くできると嬉しくて自慢したり、3時のお茶にサツマイモやつけ菜(野沢菜漬け)、タクワンを食べるのが、唯一の楽しみの時間だったね」

 

昭和43年頃の池谷分校
昭和43年頃の池谷分校

 

池谷集落の中でも山頂に近い場所にある飛渡第一小学校池谷分校(以下、池谷分校)には、池谷集落と隣集落の入山(いりやま)集落(1960年に住民15世帯)から子どもが通っていました。池谷分校に残る本棚の裏には、昭和24年小学校卒業記念・贈池谷校と書かれており9人の名前が連なっています。それだけを見ても当時は子どもが多かったことが伺い知れます。

 

池谷分校に残る本棚。現在、池谷集落に住む曽根藤一郎さん(屋号:橋場)の名前も書かれている。
池谷分校に残る本棚。現在、池谷集落に住む曽根藤一郎さん(屋号:橋場)の名前も書かれている。

 

しかし高度成長期に入ると、村の様子は急激に変わっていきました。それまで燃料として中心的に使われていた山の木が石油にとってかわられた事により、山の価値が下がり、収入のよい仕事を求めて集落を離れて行く人が増えてきました。国道から集落までつなぐ道路が整備されると、皮肉なことにより多くの世帯が集落を離れる結果になりました。住民は「引っ越し道路」と呼んだそうです。

 池谷分校は1984年に児童3人となり、休校になりました。休校後も冬季分校として利用されていましたが、それも1986年には休校。事実上の閉校となりました。

 中越大震災直前には住民は8世帯22人となり、盆踊りなどの行事もなくなり、すっかり昔の賑やかさは消えてしまい、いわゆる「限界集落(注)」と呼ばれる状態となってしまいました。

 

*注

限界集落とは、過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になっている集落を指す。

 

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