池谷集落座談会

 

2015年1月16日開催

【参加者】

  曽根武(津倉)=武

  曽根イミ子(津倉)=イ

  曽根藤一郎(橋場)=藤

  庭野功(隠居)=功

  庭野ヒサ(隠居)=ヒ

  近藤哲也(民宿かくら)=哲

  山本浩史(実行委員会代表)=浩

【司会進行】

  多田朋孔(実行委員会事務局長)=多

 

imgp9432

 

多 皆さんお疲れさまです。中越大震災から10年ということで、順を追って当時の思い出や印象に残っていることを聞きたいと思います。よろしくお願いします。

 

まとまりのいい池谷集落

多 まず、地震が起こった直後はどんな感じでしたか?

イ 本にも載っているけど、池谷んしょ(の人)は避難所で一杯飲んで怒られたこともあったね。

藤 それはむしろ、大々的に出した方がいいんだ(笑)。

功 とても素面じゃいられなかったもの。

武 あれは、三椿(※注)が地震でしょげていたから、励ます意味もあったんだ。「シンとしたってしょうがないから、酒買ってくるから飲もう」って言ったら、「それがいい、それがいい」って盛り上がってさ。(※注…中越大震災直前に名古屋市から池谷集落に移住してきた、井嶋三佳さんの屋号)

多 お酒はどこから持ってきたんですか?

武 俺が近所から買ってきたんだ。あの時の避難所では、池谷ばっかりが元気が良くて、目立ったもんだ。

武 それを三椿が見てさ、この集落(池谷)は雰囲気がいいから、定住するって決めたんだ。

藤 三椿は池谷にやってきて、すぐに地震だったな。ちょうどお母さんも来ていて。

武 三椿は親子で炊き出しの手伝いをよくしてくれたな。

藤 それで、池谷んしょは三椿をすっかり信用したんだ。

イ お互いにね、信用した。

武 三椿も池谷を信用したし、おらたちもこれなら大丈夫だって思った。

藤 改めて、池谷は確実に避難所の中で目立ってたね。まとまりがいいって、みんな思ったと思うよ。

多 地震の前から村のまとまりは良かったんですか?

イ そうそう。村のまとまりがいいって、評判だったんさ。

ヒ 池谷んしょは酒飲んでいるから、さかね(坂之上)の母ちゃんが心配して、「池谷んしょはおごった(困った)ねぇ」って言ってさ。

武 俺はさかねの母ちゃんから止められたんだ。二晩も飲んだもんだから。まぁしょげているよりも、あそこで元気を出した方が良かったと今でも思うね。

藤 まぁ、それはそうだけど、一般的にはね。

武 周りはシーンとしてたからなぁ。

多 自粛って言葉もありますからね。

浩 オラも自宅の車庫で十日ぐらい避難していたが、毎晩酒飲んだなぁ(笑)。

武 それは、周りに他の人がいないんだからいいじゃないか(笑)。

浩 稲田さんはいたけどね。景気づけに飲もうじゃないかってもんで、酒を出してきてさ。「こういう時は飲まなきゃだめだよ」なんて、よく飲んだなぁ(笑)。

武 オラは周りを気にするさかねの母ちゃんに注意されちゃったけどな(笑)。いやぁ、こういう本が出来ると記憶が蘇っていいね。

 

imgp9441

 

米が集落の希望に

多 ボランティアの人が来たときは、どういうお気持ちでしたか。

イ ボランティアなんて、当時は全然知らなかったよ。仕事してもらったらお金払わなきゃいけないって思った。

ヒ あの頃は本当に大勢のボランティアが来てくれたね。

藤 今考えると、よくそんなに来てくれたなって思うね。

武 ジェンが来る前にもボランティアが来ていたようだったが、あれはどこから来たんだ?

藤 あれは町場にボランティアに来たけど仕事がないってんで、ここまでやってきたんだ。4〜5人くらい来たかな。

浩 十日町市のボランティアセンターに来て、ニーズを探してここまで回ってきたんだろ。

武 あの時、畑から大根を運んでもらって、橋場は助かっただろ。通り道が全部崩れちゃって車が通れなかったもんな。

藤 畑から大根を背負って、崖を登ってもらったんだ。2回ぐらいやったら、音をあげてたなぁ(笑)。

多 ボランティアの人が村の雰囲気を変えたと聞いていますが?

藤 ボランティアの人が来てくれて、自分も負けないようにと思ったね。

武 山清水米を売り出したのは、ボランティアの人に「お米がおいしい、水がおいしい」って誉めてくれたのが大きかったな。

浩 ジェンのボランティアで来た人が色々と取りはからってくれたおかげで、山清水米を売り出すことができた。

武 最初はコイン精米機で精米したな。

浩 最初テスト販売で売ったのは確か30数人で、アンケートも20通くらい戻ってきた。1枚を除いて、それ以外は全部「味がいい」「パッケージがいい」「引き続き買ってもいい」っていう回答だった。村の人1人1人写真を撮って、「私が作りました」と米袋に写真を貼って送ったのがすごく良かった。

(編集部注:現在、山清水米は品質を一定に保つ為に全ての農家の米をブレンドしており、個別写真の添付は行っていない。)

武 直販には、稲田さんもたくさん協力してくれたな。

藤 なにしろ自分たち百姓は売る事が苦手だから、外部の意見を取り入れなければ直販はできなかったことだと思う。

武 稲田さんに大分ハッパをかけられて、パソコンを買った。教えてもらうんだけど、なかなか覚えが悪くて(笑)。

浩 津倉のオヤジがパソコンに一生懸命向かっている写真が、どこかにあったなぁ(笑)。あれも本に入れるか。

多 ぜひぜひ(笑)。

 

p1010730
この写真です

 

武 そんなに恥をかきたくねえよ(笑)。しかし、あの時は住所をパソコンに入れるのも苦労したなぁ。最初は三椿のところに注文票がファックスで送られて来ていたが、字のクセがあって読めないようなものもあった(笑)。注文のやりとりにもすごく手間がかかって、改良が必要だなって直販システムを入れることにしたんだよな。

浩 その後のデザイン策定と先導事業で、直販システムを入れられることになった。

藤 直販がなければ、恐らく池谷は終わっていたな。

武 今の米価じゃ、とても農家はやっていけない。

藤 何かお金になるものがあれば、みんながそれに向かって力が入る。

武 目指す目標がはっきりあると、復興の速度が早くなる。バラバラだったら全然ダメだ。そういう意味でも、米の直販は非常に大事な位置をしめている。

 

池谷で人生が変わった人も

多 籾山さんが来て、さらに復興の速度が早まりましたね。

武 籾山くんが来る頃には、もう村の雰囲気は落ち着いていたな。

浩 初めて籾山くんが来たのは、棚田ネットワーク主催のイベントの時だった。研修希望だと棚田ネットワークの中島先生(※注)から紹介されたが、籾山くんはそんなに喋る性格じゃないから、何をしてくれともあんまり言わなくてさ。中島先生に促されてようやく少し話し出して、話してみれば気さくだったな。(※注…中島峰広先生。特定非営利活動法人棚田ネットワーク代表。早稲田大学名誉教授。)

ヒ 稲刈りとかも一生懸命してくれたね。

武 とにかく一生懸命だった。その態度に村の人も心をうたれたんだな。

浩 本格的に来たのは11月だったかな。来た日に、池谷がどういうことを目指しているか、どんなことやってもらいたいかとか、本人がどういうことをやりたいのかとか、一晩飲んで話し合った。酒は強くないとか本人は言うけど、結構飲めるんだよな(笑)。

多 飲んでも表情が変わらないですよね(笑)。

藤 (酒が)強いには強いんだよな。それに、来た当時は身体を壊すかと思うぐらい、よく食ってたな。

浩 勧められたら食べないといけないと思って、一生懸命食べたと言っていた。池谷に来て10キロも太ったらしい(笑)。

武 いやー本にも書いてあるけど、籾山にはころっとたらかされて(騙されて)さ。友達が近くいるって言うから、男だとばかり思ってたら付き合っていた彼女だった(笑)。

浩 津倉の親父の一言で結婚した人もいるよな。植樹イベントで来た中溪宏一さん夫婦なんて、そうだろ。

武 そうそう。オラの家に泊まった時に、彼女の方と話をしたら「とても私には手の届かない、上の人で」なんて言うからさ。中溪さんに、「思いきってプロポーズしろ!」って言ったら、早速その日の晩にプロポーズしたらしいな。

多 この本に書いていないこともたくさんありますね。

武 そんなに細かいことまで書いたら、それこそそれだけでも本が書けちゃうぐらいだ。しかし、10年なんて一時だな。

浩 オラも10年も続いてこうなるだなんて想像もつかなかった。

藤 ボランティアがくるのは、いいとこ1〜2年だと思ったなぁ。だってタダできて、苦労してくれるなんてさ。

浩 最初来たボランティアが来年も来るかどうかなんて全く分からなかった。2階にあげられて、はしごをとられたらどうしよう、という心配もあった。そう思ってはいるけど、一緒にやるのも楽しかった。

武 それでも、お前こういう活動が好きだったんだろ。この頃顔がいきいきしている、と母ちゃん(奥さん)が言ってたぞ(笑)。

 

imgp9487

 

今後目指すところ

藤 この村は後がないんで、早く後継者を見つけないといけない。

武 そのうちになんて言ってられない。

多 それなんですけど、実行委員会では8月から農の雇用事業を使って、人を雇えるようにして後継者を受け入れたいと考えています。

武 試用期間を設けて、ちゃんとやれるかどうか見極めた方がいいな。

多 面接だけじゃどんな人か分からないので、増田さんを採用した時みたいにインターンをしてもらって、村の人にちゃんと見てもらってから、採用したいと思ってます。

藤 実行委員会が稲作をするには、今のままでは人数が足りない。早くそういう人を見つけなければいけないと思う。

武 村んしょを当てにしちゃだめだ。村んしょは、自分ので手一杯。

イ 浩史さんの相棒を二人ぐらい見つけなければいけないね。

多 来年度は新たな後継者を迎え入れつつ地固めをする年になる。人が来るのが決まれば、田んぼの耕作面積も増やせると思います。そうすれば、実行委員会が農業の受け皿として機能できると思います。

藤 畑もうんと空いているから、田んぼの合間に畑もやってみたらいい。

多 畑も実際やってみて、やり方が悪かったのもありますが、実際に計算してみると手がかかる割に収入は少なかったのが現状です。市からの委託は収入にもなるし、移住相談の仕事をすれば池谷へのスカウトもできるので一石二鳥ですね(※注)。兼業農家みたいなものです。畑にまで手を出すのは、もう少し手が回るようになってからの方が現実的だと思います。(※注…実行委員会は、2013年から十日町市の移住促進事業を事業委託されている。)

武 百姓ってのは、見合う仕事なんてなんでもないんだて。

藤 畑だって、うまくやれば米の倍はとれる(稼げる)訳なんだよ。

多 野菜専門の農家もいるのでやればできるのかもしれませんけど、我々はそもそも素人なんで(笑)。当面は今いるメンバーの経験を活かしていく方が、収入は得やすいと思ってます。「めぶき」を建てたことと農業参入して農の雇用事業も使えるようになったので、人の募集をしやすくなった。来年度は後継者の人をどんどん増やす方向性でやっていきたいと思ってます。

藤 なんにしたって、「めぶき」を早く完成して、うまく活用した方がいい。

武 「めぶき」にいい人が入ってもらえば、村の人も安心する。

多 地震から10年経ちましたが、今まではある意味準備段階で、またこれからが後継者を受け入れる新たなステージに立った感じですね。あと何年かかるか分かりませんが、実行委員会が農業の受け皿になれると思いますので、それまでは村の皆さんにはまだまだ若い気持ちでいてもらいたいです。

武 気持ちは皆若いが、なかなか身体がついていかないなぁ(笑)。

 

imgp9455

 

最後に一言

多 それでは話は尽きませんが、時間も長くなりましたしそろそろこの辺にしましょう。最後に一言ずつお願いします。

武 10年経ってある程度復興はしたけど、これから先10年後が集落の正念場だと思う。どうするかで振り出しに戻るかもしれない。実行委員会の舵取りがどうなるか、不安だし希望でもある。10年も経てばオラ90歳も近くになるから、その時に「立派になったなぁ」と言いたい。

藤 実行委員会がある程度力をつけなければ、村を守っていけないと思う。早く実行委員会が耕地全部できるようなシステムを作らないと、最初に戻ってしまう。

浩 集落の存続という目標に立てばこの10年は助走であって、これからホップステップジャンプになると思う。これからある意味佳境に入る。米作りの点でいくと、米の品質をあげるようなことも考えていなかければいけない。出来れば集中したライスセンターのようなものも作りたい。消費者と結びついて米作りをやって生きていけるような仕組み作りが佳境にはいると思います。

ヒ 私たちは1年増しに年をとるし、これからは若い人が2〜3人来て、一生懸命農業をしてくれる人に来てもらいたいと思っています。

イ 私たちは米でずっとやってきたんで、質のよい米を世界中に出せるよう、実行委員会には1年でも早く任せられるようお願いします。

哲 ジェンやボランティアが来てなかったり、こういう活動をしていなかったら村はどうなっていたかということを考えると、大変な飛躍だと思う。これからは若い人をいれてもらって、存続していってもらいたい。実行委員会の若い人を頼りに相乗効果でやっていきたい。

功 本に全部書いてあって、これ以上特にないね。

多 どうもありがとうございました。

武 おい、実際に本気になって頑張ってくれよ。

藤 集落が絶えれば、実行委員会も絶えるんだからな。

多 自分のこととして考えても、村の人がいなくなって集落に自分と三椿さんの家族だけになったら道普請も何もできなくて困ります。早く後継者を増やしたいというのは、自分ごととしてもちゃんと考えてます。それでは、本日はお忙しい中お集りいただき、大変ありがとうございました。

 

imgp9459

 

 ←前ページ   目次にもどる