第1章 地震で村が変わった

 

村はもうダメかもしれない

 

  2004年10月23日17時56分、マグニチュード6.8の大地震が池谷集落を襲いました。十日町市は震度6弱でした。新潟県は、この地震を「新潟県中越大震災」と命名しました。

 今まで経験したことのない突き上げるような揺れに、村人は驚いて家から飛び出しました。大きな揺れは2度、3度と続きました。家の中はあらゆるものが足の踏み場もない程ひっくり返り、大きな余震も続き、とても怖くて入れる状況ではありませんでした。やむをえずその夜は広い道に車を一列に停め、車中で過ごしました。寒く、月が良く見えた夜でした。

 一晩明けると地域の消防団が見回りにやってきました。「避難指示」が発令されたとのことだったので、飛渡第一小学校の体育館に全員で避難しました。体育館には近隣集落の人たちも集まり、200名くらいの人が避難生活を強いられる事になりました。

 余震も多く、先が分からない不安の中、池谷集落の人はひとまとまりになって過ごしました。「落ち込んでいたって仕方がない」と酒を飲んで宴会をした夜もありました。さすがにこれは人に咎められましたが、池谷集落の結束力の強さが表れたエピソードではないでしょうか。

 

飛渡第一小学校体育館での避難の様子
飛渡第一小学校体育館での避難の様子

 

 1週間ほどの避難所生活を終え池谷集落に帰った村人が見たのは、崩れ落ちた鳥居やひび割れた道路、そして、苦労の末に基盤整備をしたばかりの田んぼがめちゃくちゃになってしまった光景でした。村人はこの衝撃に「もう集落をたたみ、平場におりようか」と話し合いました。しかし序々に国の災害復旧事業や中越大震災復興基金(以下、復興基金)等で復旧の見通しが立つことが分かり、集落に留まって復旧を目指すことになりました。

 

地震でひび割れた道路
地震でひび割れた道路

 

無残にも崩れ落ちた神社の鳥居
無残にも崩れ落ちた神社の鳥居

 

しかし、地震をきっかけに2世帯が集落を離れてしまい、池谷集落は最も少なくなった時で6世帯13人にまで住民が減少し、過疎化に一層拍車がかかってしまいました。

 

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