第1章 地震で村が変わった

 

ボランティアってなんだ?

 

 すっかり昔の賑やかさがなくなってしまった池谷集落に、新たな風が吹いてきました。

 入山集落出身の山本浩史さんが「池谷集落でボランティアを受け入れて欲しい」と話を持ってきたのです。

  入山集落は1989年に閉村してしまいましたが、山本さんは十日町市内に住み、会社勤めをしながら入山集落に通って農業をしていました。山本さんが農作業の休憩用に建てた入山集落の山小屋に、東京都出身の稲田善樹さんが「なくなっていく農村の風景を描きたい」と借りて、一時住んでいました。稲田さんも中越大震災で被災し、かねてから縁があったNPO法人JEN(以下、ジェン)(東京都新宿区)に支援を要請していました。

 ジェンは世界各地で紛争や自然災害による被災民や難民を支援するNPOです。中越大震災の緊急支援では、その経験を活かし十日町市と川口町田麦山でのボランティアセンター支援を行いました。

 震災から3週間後、稲田さんに強く要請されていたジェンの木山啓子事務局長は入山集落を視察に駆けつけてくれました。そして、崩れてしまった山本さんの田んぼを前に「ジェンとしてやれるだけのことをやってみましょう」と約束してくれました。

 2005年1月〜3月は大雪であったため、ジェンは除雪ボランティア(イベント名「スノーバスターズ」)を募集し、山本さんが住む中条地区太子堂の集会所を拠点として借り除雪ボランティアを3回行いました。その際にボランティアから回答されたアンケートの反応がとても良く、「今後も年間を通じてボランティアに来たい」というありがたい回答がとても多くありました。

 

スノーバスターズの様子
スノーバスターズの様子

 

 スノーバスターズ終了後、ジェンは2つの提案をしてきました。まず1つは、ボランティア受入の核となる団体の立ち上げでした。

 そこで、山本さんは故郷である入山集落の隣集落、池谷集落でボランティア活動ができないかと考えました。池谷集落の村人のことは子供の頃から良く知っており、震災以前から稲田さんとも「閉校になってしまった池谷分校で何かできないか」とよく議論していました。そこで、木山事務局長にも来ていただき、池谷集落の村人を集め説明会を行いました。

 山本さんから話を聞いた村人がまず思ったのは、「ボランティアってなんだ? 一日にいくら払えばいいんだ?」ということでした。村人のほとんどはボランティアを見た事も聞いた事もありませんでした。

 しかし、震災直後に十日町市のボランティアセンターから派遣されたボランティアに農作業を手伝ってもらったことがある村人も中にはいました。また、昔なじみの山本さんが言う事でもあるため、「池谷は元々オープンでよその人を嫌がらない。ムラのためにもなるみたいだし、ダメだったら帰ってもらえばいいんだから、やらせてみるか」と話がまとまりました。山本さんは自らが代表になり「十日町市地域おこし実行委員会」を立ち上げ、村人も全員名前を連ねました。

 団体の名前を「池谷・入山」ではなく「十日町市」にした理由は、自分達の集落だけでなく周辺地域ひいては十日町市全体の事も考えて行こう、そしてその情報を全国に発信し日本を変えるような運動にしたい、という思い入れがあったためです。企画段階で団体名を考えたジェンの木山事務局長、稲田さん、山本さんはそんな思いから「当面暫定的に『十日町市地域おこし実行委員会』でゆきましょう」としましたが、結局現在もそのまま正式名称として使われています。「名は体を成す」と言われ相応しい名称ですが、少し長過ぎるとの意見も聞かれています。

 

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