第1章 地震で村が変わった

 

ボランティアが村の雰囲気を変えた

 

 ジェンの2つの提案のうち、もう1つは年間を通じボランティアを派遣したいので拠点として寝泊り出来る施設を探して欲しいということでした。

 そこで山本さんは、十日町市教育委員会に出向いて池谷分校を貸して貰うよう要請しました。池谷分校は休校以来、長年倉庫として使われており、教室から廊下までありとあらゆるものが山のように積まれていました。壁や床の傷みなどはありましたが、震災の大きな被害もなく骨組みはしっかりしていて利用できる、と大工に見立ててもらいました。

 なんとか市役所から借用許可も得ることができましたが、問題は改修費用でした。そこで、ジェンがNPO法人新潟NPO協会が運営する「災害ボランティア活動基金」に申請を行い、改修費用として約260万円を得ることができました。

 

池谷分校の片付けをするボランティア
池谷分校の片付けをするボランティア

 

 こうしてボランティアが寝泊まりできる施設として、池谷分校を改修。ジェンから現地コーディネーターとして、2005年にジェンが行った除雪ボランティアの際の参加者で、復興ボランティアを申し出ていただいていた今村安さんが池谷集落に派遣されました。今村さんは、2005年4月から2006年3月まで池谷分校に住み込んでボランティアの調整を行いました。現在でも実行委員会の活動を手助けする、心強い支援者の1人です。

 今村さんはまず、ボランティアがどういった手伝いができるかを聞いて回りました。最初のボランティアは池谷分校の片付け。第2回からは集落の道普請の手伝いや夏の草刈りなど農作業を中心に、集落の手伝いを行いました。最初は「素人に刈り払い機なんて使えない、無理だろう」「ボランティアなんて続かないだろう」と思っていた村人もいましたが、5月から10月の間に合計9回のボランティア派遣が行われ、参加者は各回15〜20人もいました。ボランティアは毎回2泊3日(金曜夜集合、日曜昼解散)で、2日目の夜には村人との交流会も行われました。負担をかけないように、交流会はボランティアが準備をして住民を招きました。毎回かならず自己紹介を行い、村人とボランティアとの交流を大事にしました。

 

作業と通じてボランティアと村人の交流が深まります。
作業と通じてボランティアと村人の交流が深まります。

 

 またスノーバスターズも、前年に引き続き行われました。2006年には中条上原集落に出来た被災者向け仮設住宅団地の1室を、十日町市社会福祉協議会から借り3回行いました。この頃から池谷集落にも雪下ろしにボランティアが入るようになりました。さらに翌年2007年からは池谷分校でスノーバスターズを行うことになり、現在まで継続されています。3メートルもの積雪になる真冬にボランティアが池谷に宿泊するという展開になり、これは当初考えも及ばなかったことでした。

 夏に訪れると冬の状況が知りたくなり、逆に冬訪れると夏を見たくなる、そうして1年中都会の人が訪れるようになって来たと言えます。

 また、NPO法人中越防災フロンティアが主催する「越後雪かき道場」も2008年から池谷集落で始まりました。「越後雪かき道場」のコンセプトは「何か手助けがしたい」というボランティアの申し出に地域が応えきれず、その力を頼りきれないでいる状況を変えるため、雪と共に暮らし生きてきた人々の「雪かき」の技術を伝えようというものです。これは池谷集落で行ってきたスノーバスターズと重なるものでありました。スノーダンプやスコップの使い方が未熟で、しかも屋根の上での作業での事故にボランティア保険が適用されないという状況では、正に雪かき技術の研修は必要な事でした。

 この「雪かき道場」を知った山本さんは早速長野県飯山市でのこの年最後の回に参加し、主催者の長岡技術科学大学の上村靖司教授に翌年の池谷での開催を要請し実現しました。以来、毎年「越後雪かき道場」が開催されスノーバスターズと併せて、冬の都市交流ツールとして重要な位置を占めてきました。

 こうして、池谷集落には1年を通して多くのボランティアが訪れるようになりました。

「若い人たちがたくさん来てくれて、気持ちが若返った。」

「村の空気が変わった。」

 と、村人は語ります。

 参加者の人も「村の人から元気をもらった」と多いに喜んでくださり、毎年来てくださるリピーターもたくさんいらっしゃいます。

 

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