第1章 地震で村が変わった

 

オラたちの米を売ろう

 

 一方、現在も集落の大事な収益源となっているお米の販売も、この頃から取組まれました。池谷集落の棚田では、山の湧き水をひいて稲を栽培しています。十日町市は「魚沼産コシヒカリ」の産地。もちろん池谷集落のコシヒカリも「魚沼産コシヒカリ」です。それまでは収穫した米は全て農協や米穀店に出荷していましたが、なんとか集落自慢の米を直接消費者に売ることができないだろうか、と村人は考えるようになりました。直接販売をすれば、農協などに出荷するよりも高くお米を売ることができます。

 最初のきっかけは、ボランティアのHさんが企画した東京での中越大震災支援イベントでした。Hさんは2005年11月に歌手のYaeさんを呼んで「Yae新潟チャリティライブ」を、勤務する株式会社大塚商会の会議室で社員向けに開催しました。そこで山本さんの米を販売したところ、始まるやいなやあっという間に売り切れてしまいました。手応えを感じたHさんは、11月に同社の社員向けに試験販売(3キロ入り1950円)をする段取りをつけてくれました。32人が注文し、購入者のアンケートからも「おいしい」「今後も買いたい」と高評価を得ることができました。

 米の直販事業は、2006年4月から本格的に実施しました。後に「山清水米」とブランド名をつけましたが、当初は「池谷・入山の米」と呼んでいました。主な宣伝先はジェンの支援者で、ジェンのニュースレターにチラシを無料で封入させてもらいました。そのおかげで、最初の年は31俵(約1.9トン)を販売することができ、村人は手応えを感じました。

 初めはファックスで注文を受け、曽根武さん(屋号:津倉)が販売事務をパソコンで行っていましたが、徐々に注文数が増えてきたため対応が困難になりました。2007年から2008年10月まではボランティア調整員だった今村さんが定期的に池谷集落に訪問し、事務を行いました。

 また、当初集落には十分な精米機や石抜き機がなかったため、各農家が割当分の米を街場のコイン精米機で精米し持ち寄り、手作業で米を混ぜて計量し袋詰めをしていました。その内に購入者から異色米(カメムシの被害を受けた米)などが混入しているとの苦情を受け、人手で除去するようになりました。販売量が増えることはありがたいことでしたが、人手での作業は高齢の住民にとって苦労の多いものでしたし、見落としもあり極めて不十分なものでした。この大変な作業を機械力で解決出来るようになるには、しばらくの時間がかかりました。

 

ボランティアのてを借りて、「山清水米」を発送。
ボランティアのてを借りて、「山清水米」を発送。

 

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