第3章 後継者現る!
農業研修生がやってきた
「デザイン策定支援事業」に取り組んでいる最中の2008年10月、池谷集落に農業研修生がやってきました。名前は籾山旭太(あきた)さん、当時27歳の若者でした。
籾山さんは東京農業大学を卒業後、茨城県にある日本農業実践学園という農業の職業訓練校の職員として働いていましたが、「農業を教えているのに、農村の現場のことを知らなくてよいのか」と思い、農村に住みながら現場経験を積もうと考えて棚田ネットワークに相談したところ、池谷集落を紹介されたのです。
以下、籾山さんの当時の自己紹介です。
「棚田の稲作を中心に農業を専業でやられていて、1年間、研修生を受け入れてくれる農家を探していました。今年の10月から2年半の期間、学校を離れ、農家研修を行います。 研修は農家の方と生活、労働を共にし、栽培・経営技術を学ぶこと、また農家の暮らしぶりを体験することで、将来の学校教育に生かすことを目的としています。 棚田という非常に厳しい条件の中で、一生懸命に地域を守ろうと頑張っている農家に1年という短い間ですが、勉強させてもらいたいと考えています。また、里山の自然環境とその保全についても個人的に関心があります。ちなみに、学校では野菜部門を担当していますので、稲作は初心者です。」
来た翌日から早速稲刈りに籾摺りに、あの家この家と手伝う日々が続き、手伝った先々でお礼に食事に招かれたり、お風呂にも入らせてもらったりと、たちまち集落に溶け込みました。人懐っこく、誠実な仕事をする好青年として集落の人たちからも大変信頼されました。
十日町市地域おこし実行委員会でも、池谷分校の管理主任として池谷分校に住んで貰うことを要請し、快く引き受けて貰いました。ジェン主催の「村おこしボランティア」はじめ分校を拠点にした活動の調整員としても活躍してもらいました。
「籾山さんが来てから地域おこしの流れが変わった。」と、山本さんは言います。
当時、池谷・入山集落での地域おこしの取組みにおいて事務的なことは、山本さんに任されることが多く、山本さんは仕事の合間、時には夜遅くまで作業をしていました。山清水米の直販の事務は、今村さんがボランティアで引き受けていました。
籾山さんが来てくれたおかげで、ボランティアの人たちとのやり取りや山清水米の直販といった事務作業など地域おこしの活動に専従者が存在することになり、活動が飛躍的に進みました。ただ、籾山さんとしては「農業研修に来たのに、地域おこしの事務が多くてなかなか農業に十分な時間が取れない」というそれはそれで悩ましい状況でもあったようです。
当初、籾山さんは2年半の研修期間のうち、最初の1年間は池谷集落で米作りを経験し、2年目は別の地域で牛飼いを学びたいと考えていました。しかし、最終的には研修期間の2年半丸々、池谷集落にいてもらえる事になりました。
期間限定とはいえ、外から若者がやってきて池谷分校に住み込みで地域おこしの取組みに従事してくれた事は、池谷集落にとってとても大きな一歩になりました。
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