第3章 後継者現る!

 

後継者のために

 

 2009年当時、池谷集落には1軒の空き家がありました。「中屋(なかや)」という屋号の方が住んでいたので、そのまま「中屋」と呼んでいます。中越大震災をきっかけに住民が離村し、空き家になっていたため、度々この「中屋」を何とか有効活用しようという話は出ていたのですが、なかなか実現には至っていませんでした。その間、震災で傾いた家がつぶれないように冬には除雪をして何とか保全してきましたが、ようやく2009年春から「先導事業」を活用し改修に着手することになりました。

 まず、団体で不動産を所有するためには法人格が必要でした。ですが、当時の実行委員会は任意団体で法人格がありません。かといって、村人の誰かが個人で買えるものでもありません。そこで、地縁団体「池谷集落会」が2009年4月6日に設立されました。地縁団体になっていれば、不動産も集落会が所有できるため、「池谷集落会」として中屋を購入しました。そして、管理は実行委員会が行うという形をとりました。復興基金では不動産の取得費用を出せなかったため、今までの寄付金など実行委員会の財源で賄いました。

 改修工事に関しては、復興基金が活用できましたが予算が限られていたため、できるだけお金をかけないように、集落出身の職人さんや、ボランティアに来たことのある本職の方にも多大なご協力を頂き、ほぼ材料代だけで改修することができました。

 室内の壁塗りの作業では、入山集落出身の左官屋の山本芳夫さんが作業の指導をしました。芳夫さんはこの道45年のベテランで、腕が確実であるのはもちろんですが、仕事にもこだわりがあります。池谷分校に通っていた頃から「中屋」は見てきました。芳夫さんは「この家が空き家になっていた事は知っていたが、こんな使われ方をするとは思いもしなかった」と言います。

 池谷集落出身の曽根久(ひさし)さんは大工で、色んな作業をこなしてくれました。久さんも池谷分校の卒業生です。

 ボランティアでは、増田雅一さんが改修の責任者として大変活躍してくださいました。また、増田さんは東京で建材業を営んでいることもありこの道に明るく、物心両面で大変お世話になりました。

 増田さんの声がけによって建具屋の本間清和さんも本職を活かしてお手伝いいただきました。

 それから、自称「分校の用務員」の樋浦雅紀さん。ジェンが派遣するボランティアがくる前に、池谷にやってきては、分校の手入れなど、アレコレとボランティアが過ごしやすいように取りはからって下さっていましたが、中屋の改修では電気系統の工事を担当してくださいました。

 また、壁塗りなど素人でもできる作業はワークショップ形式で行い、2009年の秋には改修が完了しました。2009年秋の収穫祭はこの「中屋」を会場にして行われました。 

 

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壁塗りのワークショップ

 

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