第3章 後継者現る!

 

若い家族の移住

 

 2009年5月に、多田朋孔(ともよし)さんはジェンが主催する田植の体験イベントに参加し、池谷・入山集落の中越大震災以降の地域おこしの取り組みにとても興味を持ちました。元々農業や自給自足の生活に興味があった多田さんは、イベントのオリエンテーションで山本さんの集落存続への思いを聞いて、自分も移り住んで地域おこしの取組みに多くの時間を使いたいと思うようになりました。

 特に多田さんが驚いたのは、池谷分校から見える「中屋」を指さして、山本さんが「いつかくる後継者のために、空き家を改修しているんだ」と言っていたことでした。いつ来るかも分からない後継者のために、空き家を整備するというのは、よほど集落に本気度があると感じました。

 池谷集落に移住することを考え出した多田さんでしたが、奥さんと当時2歳の息子がおり、そう簡単に仕事を辞めて移住するわけにはいきませんでした。そんな中、「地域おこし協力隊」を池谷・入山集落で受け入れるという情報を入手し、渋る奥さんを何とか説得し、家族で移り住むことになりました。

 協力隊として着任したのは、2010年2月でした。大雪の中の引越しでしたので、荷物を運ぶトラックが池谷集落まで登ってくることができませんでした。引越しのトラックが登れないという情報は、村人たちにも伝わりました。こんな非常時には都会の人間では全く役に立ちません。集落の男衆が活躍しました。「軽トラで往復して運ぼう」という意見もありましたが、結局は除雪車にトラックを引っ張り上げてもらうという荒業を使い、家の前まで無事に荷物を運びました。届いた荷物を家の中に運び込むのも、村人が手伝いました。2階にあがる階段が狭く急だったため、村人の発案で2階に置く大きな家具は積雪を利用して外から運びいれました。

 地域おこし協力隊の3年の任期終了後も、多田さんは池谷集落に定住し、農業や十日町市地域おこし実行委員会の事務局長として地域おこし活動に取り組んでいます。奥さんの美紀さんは「山清水米」の直販事務を籾山さんから引き継ぎ、実行委員会の職員として働いています。多田家には2012年2月に第2子が誕生し、集落の若返りに貢献しています。

 

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多田さん一家。右から奥さんの美紀さん、次男・幸弘(よしひろ)くん、 長男・和正くん、朋孔さん。(2012年6月撮影)

 

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