第3章 後継者現る!

 

村での結婚式

 

 ジェンからの「自立式」を終え、籾山さんの研修期間も残すところあとわずかになりました。籾山さんは当初2年半の研修期間のうち1年間を池谷集落で過ごし、残りの期間は牛飼いを学ぶため別の地域に行く予定でしたが、村人たちの残ってほしいという強い願いもあり、また2010年に牛を放牧して耕作放棄地を再生させるという新潟県の事業を入山集落の奥地で取り組む事になり、2頭の牛を飼う事になったので、結果的に2年半の研修期間の全てを池谷集落で過ごすことになりました。(2012年に牛飼育事業は終了)。

 それでも2011年3月には、池谷集落を卒業し勤務先に戻らなければなりません。お別れの前に、池谷分校で結婚式をしようじゃないかという話になりました。

 集落での結婚式を提案したのは、曽根武さんでした。

 ある日、武さん宅での夕食時、どうしてここを研修先にしたのか? という話になり、

「こっちに友達がいるからここにした。」

 と籾山さんが言ったのを聞いて、どういう友達か?と聞くと、

「学校の後輩です。」

 というやり取りがありました。それを聞いて最初、武さんは男の友達だと思っていました。

 それが、しばらくたったある日、

「実は彼女がいるんですよ。」

 と籾山さんが明かしました。籾山さんが池谷・入山集落を研修先にした理由の一つに、十日町市の近隣(長岡市)に恋人が住んでいるからというものもあったそうです。

 すると、武さんは

「彼女がいるのなら、ここで結婚式をしてはどうか?」

 と提案しました。

 そういう経緯で、籾山さんは恋人の千鶴さんと池谷分校で結婚式を挙げることになったのです。

 手作りの結婚式ですので、器なども自前で用意しなければなりません。庭野昇一さんの倉庫に昔の結婚式で使っていた器がそのまま残っていましたので、当日はそれを使うことになりました。

 結婚式が行われたのは2011年3月5日、集会所で式を挙げたのですが、この日の巫女を務めたのは中越大震災以前に名古屋から移住した井嶋三佳さん(屋号:三椿)でした。

 集会所での式の後、古式の披露宴を親族などだけで行い、その後集会所から移動して池谷分校で披露宴が行われました。集会所から池谷分校までの間は、牛を引きながらの花嫁行列でした。この行列を見るために大勢の見物人が来ました。正確には数えていませんが、その数は200名近くになったと思います。

 披露宴には参加者と裏方のボランティア合わせて約100名の人たちがいました。この披露宴も盛り上がり、籾山さんの人柄がにじみ出るような結婚式となりました。

 結婚式が終わった後も籾山さんはしばらく池谷集落に残っていましたが、3月25日に勤務先の日本農業実践学園に戻りました。

 

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結婚式での花嫁行列。花嫁の介添役は、池谷集落の曽根イミ子さん。

 

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