第3章 後継者現る!

 

更なる移住者

 

 籾山さんが日本農業実践学園に戻った時期に、入れ替わるように2人の女性が池谷集落に移住しました。佐藤可奈子さん(旧姓:坂下)と福島美佳さん(旧姓:小佐田(こさだ))です。2人ともジェンのボランティアイベントがきっかけで池谷集落に通うようになり、イベント以外でも頻繁に集落に訪れていました。

 佐藤さんは2011年2月にやってきました。内定していた企業を断り、大学を卒業後集落に来ました。

 映像制作も得意で、30年ぶりに復活した盆踊りの記録映像を撮影し編集して、村人たちにプレゼントしました。この映像の出来栄えには村人たちも大満足でした。写真やエッセイを書くのが得意なので、ブログで集落について発信もしていました。池谷集落に通ううちに、村人たちの言葉を聞くにつけ、「この集落の人たちのようになりたい」と思うようになり、農家を目指して移住してきました。

 福島さんは大学卒業後3年働いた求人広告会社を退職して、2011年4月にやってきました。

 福島さんもブログで集落の様子を発信したり、池谷・入山集落の様子を撮影した写真で写真展を東京で行ったりなど、より多くの人に集落のことを知ってもらいたいと取組むうちに、実際に住んで地域おこしの活動をしたいと考え、移住を決めました。

 最初の1年目は2人とも池谷分校に住みながら十日町市地域おこし実行委員会の仕事をして、月5万円の手当をもらい生活しました。分校に住むことで、家賃や水光熱費などは実行委員会が負担し、車も貸与されました。佐藤さんは分校の管理や映像制作、福島さんは体験交流イベントの調整や広報を担当していました。月5万円だけの収入だと生活は厳しいですが、時間の拘束はそれほど厳しくなかったので、単発のアルバイトなどもしていました。

 

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福島美佳さん(左)と佐藤可奈子さん(右)

 

 ですが、安定した収入ではないため、2012年1月から福島さんは十日町市役所の臨時職員として勤務する事にしました。それに伴い、池谷分校から街中のアパートに引っ越しました。市役所での勤務と並行で、集落の体験交流イベントの調整役は続けました。市役所は1月から3月まで勤めた後、2012年4月から十日町市地域おこし実行委員会がNPO法人化したことに伴い、NPO法人の事務スタッフとして採用され、池谷分校へ通勤することになりました。

 佐藤さんは農家になるという希望があったため、2012年4月から農林水産省が実施する「青年就農給付金(準備型)」を受給することにしました。研修先は近くにある魚之田川(うおのたがわ)集落で水稲とナスを主に作っている個人農家でした。

 当時のことを福島さんはこう振り返ります。

「実行委員会から月5万円の手当がでることと、池谷分校にほとんど無償で住めることは、移住にあたって大きな後押しになりました。しかし、将来的なことを考えると、月5万円で生活を続けていくのは難しいし、分校にずっと住み続ける訳にもいきません。移住した後も父親の扶養に入っていて両親に心配をかけたくなかったので、きちんと自立をすることを考え、市役所で勤務することを決めました。池谷集落を離れるのはとても抵抗がありましたが、結果的に実行委員会で働けることになりましたし、結婚もでき定住につながったので良かったと思います。」

 2015年1月現在は、2人とも十日町市内の男性と結婚し、それぞれ相手方の家で暮らしています。集落として若い後継者に住んでもらいたいという事だけを考えると、正直言えば「取られてしまった」と言えなくもないですが、広く十日町市という視点で見れば十日町市内に定住できたので、そう考えると素晴らしい事だと思います。

 

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