第4章 集落の灯を絶やさない

 

村人の離農

 

 2011年春から、庭野昇一さんが稲作をやめる事になりました。当時、78歳で、村人の中では最長老でした。昇一さんが耕作していた田んぼは、市内の農業法人が引き継ぐことになりました。ほかの村人は、出来る事なら十日町市地域おこし実行委員会で昇一さんの田んぼを引き継ぐことが出来たらと考えたのですが、実行委員会が組織として稲作を行った実績もなく、請け負ったとしても専念できる人員もおらず、とても行える状況ではありませんでした。

 昇一さんが田んぼをやめた大きな理由は、前年に患った脳梗塞の後遺症で歩くとふらふらしてしまうようになり、とても1人で田んぼの作業をすべて行うことが出来なくなってしまったからです。しかし、農業法人に田んぼを貸した後は、田んぼの水管理のようにまだ自分でやれる作業についても手出しする事ができなくなってしまい、完全に田んぼの作業からは遠のいてしまいました。

 それでも、やめた年はまだ昇一さんも物足りなかったのでしょう。7月に起きた土砂災害の影響で手刈りをしなければならなくなった田んぼの稲刈りを、ボランティアの方々と一緒に暗くなるまでバリバリとしていました。

 田んぼはやめてしまいましたが、自分で食べる分の野菜は畑で作るなど農業は続けていらっしゃいます。

 しかし、昇一さんが田んぼをやめたことは、ほかの村人にとってもショックが大きかったようです。だんだんと移住してきた若者に対して、

「俺たちもいつまで田んぼができるかわからない。だから早く実行委員会で稲作ができる受け皿を作ってくれ。」

「年を取ると1年増しに衰えてしまう。田んぼができる若手をあと何人か早く呼び込んでほしい。」

 といった意見が出てくるようになりました。

 切実な意見が頻繁に出るほど、のんびりしていられない状況に集落は追い込まれているということでもありました。ですが、集落にはもう空き家もなく、新たな後継者候補を受け入れる環境が整えきれていません。先のことを考えると、今のままではダメだという危機感だけが募る状況でした。

 

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